私が一番好きな野球選手というより、一番好きな有名人であるイチロー。


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しかし、彼の野球人生は、困難の連続だったと思います。
まずは、衝撃デビューの1994年の前。


最低の上司から始まったプロ野球人生

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高校を卒業して入団した時、オリックスの監督は土井正三。
彼はイチローの振り子打法に対し、「その打ち方を変えなければ一軍では使わない」と命令し、そう命じられたイチローは「なら、使ってもらわなくてけっこうです」と自ら二軍行きを宣言。

土井監督が退任するまで、1軍でのチャンスはほとんど与えられませんでした。
(ちなみに、1992年から1993年にかけて、2軍で3割6分以上打っており、46試合連続安打という前人未踏の記録を作っています)

1994年に土井に代わって監督に就いた仰木監督に見いだされ、名前をイチローにし、200安打を打ったのはご存じの通り。

イチローのプロ野球人生は、このように、最低の上司の下から始まったのです。


凶悪な投手と闘ったパ・リーグ時代
そして、いまだかつてない大進撃を続けるイチローに襲いかかったのが、デッドボールです。


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抑えることが不可能だということで、パリーグのピッチャーは、死球覚悟の執拗な内角攻めを繰り返し、1995年にはデッドボールのプロ野球記録を樹立します。(この年、デッドボールでの不調がなければホームラン王もとっていた可能性が高い)

スーパースターとなったイチローは、モラルのない敵を相手に、それでもヒットを放ち続けていたのです。

そして、ついに2001年、メジャーデビュー。

つかの間の、幸福な1年

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世界最高峰の舞台でも、1年目から首位打者・盗塁王・新人王・MVP、そして、マリナーズは、メジャーリーグのシーズン最多タイの勝ち星を重ねてアメリカンリーグ西地区を優勝します。

この年は、イチローのプロ野球人生の中で、最高の年だったのではないかと思われます。


淀んだチームの中で、輝き続ける

しかし、そのチームの輝きは数年で消えていきます。
その後のマリナーズは、低迷を続け、チームメイトはやる気なし。

その中で、粛々とヒットを打ち続けるイチローは、チームの中で浮いた存在になってしまいます。


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打てども、打てども、勝てず。
この時に、強い球団にトレードされていたら、また違った野球人生だったかもしれません。


このように、上司に恵まれず、対戦相手に恵まれず、チームに恵まれずと、彼の野球人生には、常に逆風が吹いていました。

でも、これって、誰の人生もそうですよね。
常に全てが順風満帆とは限らない。

常にどこかで逆風は吹いている。
それでも、自分の力で、努力で、その逆風の中を歩んで行かなくてならないのです。


そんな大地、蹴って歩いては、声を探すの

椎名林檎が、イチローのことをイメージして書いた「スーパースター」という曲。

「答えは無限大さ、自分で造って行く」
枯れゆく葉が相変わらず、地面を護っている
そんな大地、蹴って歩いては、声を探すの

私はあなたの孤独に立つ意思を思い出す度に
泪を讃えて震えているよ 拙い今日の私でも

私がイチローから学んだことは、逆境を周りのせいにしないこと。

つまり、自分の実力で、その逆境を跳ね返すために、ひたすら自分で結果を出し、まわりを納得させることです。

イチローが、自分のことを「天才だ」と言われることを嫌うのはこういう逆境の中を必死にもがいて歩き続けているからだと思います。

天から祝福され続けた野球人生ではない。
必死にもがいて、血まみれになって、歩み続けた野球人生なんだと。

引退寸前のイチローが戻ってきたマリナーズは、決して強くないけれども、イチローをリスペクトする選手が集まる、暖かいチームでした。

力が衰えたイチローを、優しく迎え入れてくれたチーム。

そんな中で、世界中のファンから讃えられ、感謝され、惜しまれながら引退していくイチローの姿を見て、孤独に歩んできた彼の野球人生が、間違っていなかったということが証明され、私まで幸せな気持ちになっています。

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そして、自分も、いつか、こういう日が迎えられるよう、今自分ができることを、精一杯行いながら、大地を蹴って歩いて行こうと思うのです。