小沢健二2016年ライブ決定記念 2010年 「ひふみよ」 ライブレポート

2016年01月21日(木)


2016年5月6月に、小沢健二が三度ライブをすることを発表しました。

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私は小沢原理主義者であり、神とあがめております。
2010年の衝撃的な復活ライブ、2012年オペラシティでの美しいライブに行き、その会場で1万円以上する作品集を購入するなど、完全な檀家です。

そして、4年ぶりのライブ。
5月か6月、日本にもどってくるしかないじゃないですか。確かちょうど6月に東北大学で公演があったし。

そんなわけで、1ヶ月ぶりに帰ってきた、雪の残る東京で、小沢健二の曲を聴いています。彼の曲は、本当に冬の東京とよく合います。

2010年のライブでは「この国の大衆音楽であることを、誇りに思います」と行っていました。まさに、大衆音楽。

2010年、そのライブのレポートを再掲します。
と、いうわけで、行ってきました、中野サンプラザ。

中野駅からサンプラザまでのわずかな道には、ダフ屋がいて、「チケット譲ってください」の看板を持った人がおり。
こんなの見たの、北京オリンピック以来だよ・・・。

そして、会場。
満員御礼。

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売店でTシャツは売り切れ。

平日の午後6:30開演という、サラリーマンにはキツイ時間にもかかわらず、会場には人がびっちり。
男女比3:7ってところか。スーツ姿が思ったよりも少ない。 年齢はやはりアラサーまわりが大多数・・・

なんてことを考えていたら、会場が暗転しました。

非常灯や足下灯まで消え、天井のライトの小さな光が、軽く雲がかかった夜の星空のように、ぼーっと光っています。

真っ暗で何も見えない舞台の上に、人が歩く気配が。(もりぞおさんは前から6列目)
そして、唐突に音楽がはじまります。

流れ星ビバップ

真夏の果実のような過去の楽しい思い出の、堅い種だけ心の中に残る日々
しかし、時が流れ傷は消えてゆき、もどかしさと共に思い出の中に消えてゆく
そんな曲。

13年間、イライラを越えてあきらめを越えて思い出の中に消えていった。
このライブが決るまでの、ファンと小沢健二の関係を予見したような曲。

姿の見えないオザケンは、あのときと変わらぬ声で、以上に音符が多いハイテンションの曲を、元気に歌い上げます。

突如音楽が止まり、舞台の真ん中にろうそくの明かりのような小さな光が。

何かの文章を朗読し始めるオザケン。

大停電のNYの夜の話。
その夜、大混乱する人々の中で、街の隅っこをよく知る浮浪者や、小さな電力で細々と放送する小さなラジオ局は大活躍。
スーパーは肉や野菜をタダで振る舞い、家ではたくさんの人のために料理が作られる。小さなラジオが音楽を奏でる。

NYの特別な夜。

その話は、中野に集まったみんなを、特別な夜に招待する話でした。

「流れ星ビバップ」に続いて「ぼくらが旅に出る理由」

NYを舞台に、離ればなれに暮らす恋人同士の歌。

♪僕らが住むこの世界では太陽がいつも昇り、喜びと悲しみが時にたずねる!

一番が終わったところで、ぱっと明かりが!

 オザケン!変わってない!

太ったとか、禿げたとか、未確認情報がネットの隅っこで飛び交っていた彼ですが、13年前と全然変わっていませんでした。
どうやら、村上春樹が提唱した「海外に行っている間は歳を取らない」説は本当のようです。

そこから、幸せの王子様全盛期、アルバムLIFEおよびその周辺の曲が次々と奏でられる。
微妙にアレンジが変わってたりするものの、歌声は変わらないオザケンくん。

しかし、曲と曲の合間に、謎の朗読が入ります。

知人の金持ちの人は、靴を2回履いたら捨ててしまう。
一般人は、お洒落が出来なくてかわいそう。。
でも普通の人は、こう言う。あんなに靴ばっか買ってバカみたい。

同じことが日本でも起こる。
途上国の国の人の写真を見て、靴に穴が空いててかわいそう。
でも途上国の人は、こう言う。あんなにものが高い国で暮らしててかわいそう。

「幸せの定義」の違い。
私がキューバで感じたことと一緒の話です。

そして、その続きでこんな話を。
イスラム教徒の友人が、マツダの中古車を改造して、格好良く乗っている。
「俺は他のどの車よりも、この車が大好きなんだ。」

そこで、流れてきた、インド風の音楽・・・が続いて、インドアレンジで歌い出した曲は・・・

♪カローラⅡに乗って、買い物にでかけたらー 

その後も爆音で続くヒット曲。
十数年ぶりのライブなのに、ドアノックダンスという特殊な踊りを踊れる人々。
十数年ぶりのライブなのに、ブギーバックのラップ部分を歌詞なしで歌える人々。

 ここは、十数年前の同じ音楽体験を共有している人々の幸せな集まりです。

「幸せの定義」は人それぞれであり、同じ笑いや同じ音楽を知っているという連帯感は、その人たちの幸せを喚起する。

メキシコのプロレス。キューバの音楽。ブラジルのカーニバル。
そして、日本のオザケン。

彼は、こう言っていました。
「日本の、大衆音楽であることを誇りに思います。」

小沢健二の楽曲を媒介に、十数年前のオザケンと、十数年前の自分たちと、楽しかったあの頃をみた連帯感が幸せを喚起する。

それは、完璧な絵のように。

小沢健二の代表曲のひとつにラブリーという曲があります。
ライブの中で、「ラブリー」の練習をしました。

「あと1時間後にこの曲をやるので、一緒に歌ってください。
歌詞が変わっているので練習します。」

♪LOVELY LOVELY WAY, Can’t you see the way? It’s a
この部分を、
♪LOVELY LOVELY WAY, 完璧な絵に似た
と。

はじめは違和感が残っているのですが、何度目かにはすっかり詞が音に乗るようになります。

本編の最後、この歌を歌う、舞台の上と観客席の姿。
やっぱりよくよく見ると、歳をとってる小沢健二。さすがにもう王子様とは呼べない。
もちろん歳をとってる観客席の人々。さすがにもうオリーブ少女とは呼べない。

十数年前と比べれば、ちょこっと日に焼けて色あせてたり、絵の具が酸化して色が変わっているかもしれないけれど、
そこに向けられた情熱や、そこから感じられる感動、ぎゅっと詰め込まれた気持ちは変わらない。

 完璧に幸せに描き込まれた絵のように

13年ぶりの小沢健二が表現したかったのはこんなコトだったのかと思います。
長い間いろいろなことがあったけれど、またひとつの所に集まって、自分の音楽を媒介に幸せを共有することが出来る。

 音楽ってそういうもんだし、幸せってそういうもんだし、もっと言えば人生ってそんなもん。

アンコールが終わり、舞台から姿を消す前に彼はこう言っていました。

 この街と、みんながいなかったら生まれていなかった音楽です。
本当にありがとう。

こちらこそ、ありがとう。幸せの王子様と、素敵な音楽に。


著者近景

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Author:もりぞお / 森山たつを

海外就職研究家 兼
電子書籍個人出版研究家


人がやらないマニアックな領域を、日々自身が実験台になって研究しています。
詳しいプロフィールは"About もりぞお"をご覧ください。
取材、記事執筆、人生相談、なんでもうけたまわります。

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